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「歌舞伎座さよなら公演二月大歌舞伎」夜の部 [舞台]

2月の歌舞伎座は17代目中村勘三郎二十三回忌追善。亡くなったのが昭和63年。まさに昭和の名優という呼び名がぴったり。なんと生涯で演じた役は803役。確かギネスブックに登録されているんじゃなかったかしら。
そんな先代勘三郎の当たり役ばかりをそろえた追善公演です。

2月4日夜の部鑑賞。3階席3列目。下手寄りだったので、花道も少し見えました。

「壺坂霊験記」
初見。先代勘三郎と歌右衛門でたびたび手がけてきた作品。今回は三津五郎丈と福助丈のコンビで。ストーリー自体は他愛もないもので、観音様の功徳により目が見えない夫の目が見えるようになった、というお話。福助丈の怪演を恐れていたのですが、意外なほどノーマルな演技で一安心。不自由な夫の身を案じ、観音様へ百度参りをしていたというけなげな美人妻をお行儀よく演じていました。ここ最近、福助丈の演技が落ち着いてきたのはいいことですね。成駒屋の看板なんですから・・・。

幕切れ、谷底へ身を投げたものの、観音様の力によって命を取りとめ、かつ目も見えるようになったふたりが手を取り合って喜ぶシーンは微笑ましく、しみじみしました。

「高杯」
これも先代の得意とした舞踊の1曲。高杯を買ってこいと命じられた次郎冠者が高足売り(下駄ね)の男に騙され、高足を高杯だと思って買って帰り、主に叱られるものの酔っぱらっていい気分になり高足を履いて踊り出す、というこれもご機嫌な作品。高足を履いて踊るところをタップダンス風に軽やかにステップを踏むのが有名ですが、これを始めたのも先代だそうです。次郎冠者はもちろん現勘三郎丈。
あまりに有名なので、観たことあるのか、ないのかもよくわかりません・・・。なんで下駄であんなに軽やかに踊れるんだろう。歌舞伎役者さんの身体能力ってほんとにすごいなぁと踊りを拝見するたびに思います。下半身の力がとにかく要求されるので。

「籠釣瓶花街酔醒」
これこれ、これを楽しみにしていたのです。
次郎左右衛門を勘三郎丈、八ッ橋を玉三郎丈、栄之丞を仁左衛門という顔合わせ。これまでも何度も観たことがあるはずですが、今回、「ああ、こんなお話だったんだ」と腑に落ちました。歌舞伎を観ていると、こんなことがよくあるんですよね。特に有名な演目に多い気がする。見た目の華やかさや、凝った趣向、そして予め頭に入れてしまった予備知識に、自分で感じることを邪魔されるというかんじ。

あばた顔の佐野在住の商人佐野次郎左衛門は物見遊山気分で出かけた吉原で八ッ橋の花魁行列にいきあたり、八ッ橋が気まぐれで見せた微笑に魅入られてしまう。この八ッ橋が見返って微笑むところが最初の見せ場。これも役者さんによって解釈があって、にっこり満面の笑みをみせることもあるし、ふっと微笑む、くらいの役者さんもいます。今回の玉さまは微笑み派。無表情な美女が、ふと振り返って自分だけに(と、次郎左衛門には感じられる)微笑んでくれた。これは、遊びを知らない実直な商人が夢中になるに十分な条件でしょう。
それ以来、次郎左衛門は江戸に上ってくるたびに、吉原へ通い八ッ橋に逢い続け、すっかり馴染みの客となっています。金払いがよくてお行儀もいい(つまり遊びのマナーがなっている。たぶん、次郎左衛門は自分が田舎者であること、そして顔中があばただらけであることを強いコンプレックスにしているのだろうから、余計、ジェントルマンに振る舞っているのだと思う)から歓迎される客ですね。遊び方がキレイ。
で、どうもお金は持っているらしき次郎左衛門は八ッ橋を身請けする算段を進めている。ここで、登場するのが八ッ橋を金づるにしている後見人(八ッ橋の実父の家来という設定)の権八。この権八は八ッ橋が身請けされると金をせびる相手がいなくなるので、それを邪魔しようと、八ッ橋の間夫(いわゆる愛人ですね)の栄之丞に身請け話を告げ口し、八ッ橋が身請けを断るようにしむけさせる。

この八ッ橋と栄之丞の関係が切ないのですね。底辺で身を売って生きるしかない八ッ橋とまぁいわゆるヒモの栄之丞(浪人ですから、彼は八ッ橋を身請けして自由にしてやるような金はない。色男金と力はなかりけりを体現しないといけない役です)。八ッ橋は栄之丞から身請けの話を問いつめられ、「当然断るつもりだったから話もしなかったのだ」と話すのですが、栄之丞は納得せず、「今日、次郎左衛門と縁切りしろ」と詰め寄る。そうすると当然、八ッ橋は最初は渋るものの承知する。そこで次の有名な場面、縁切りの場につながるのです。

この八ッ橋と栄之丞のやりとりを観て、八ッ橋の身請け話は打診レベルの話なんだろうな、と推測して次の縁切りの場を観ると、どうもそうではなさそう。今晩、最終の手続きをするつもり、と次郎左衛門が話しているとおり、もうほぼ本決まりの話のようだったのです。どの程度、遊女の側に身請け話を受ける、断るの自由があったのかわかりませんが、少なくとも八ッ橋レベルの花魁だと断ることはできたはず。それを傍観していただけかもしれないけど、断らずに最終段階まで進めていたということは、どこかで八ッ橋は今の暮らしから足を洗いたいと思っていたのではないか、と思った訳です。

辛い苦界勤め、間夫の栄之丞は辛い日々のつかの間の慰めにはなるけれど関係を続けていても事態はまったく前進しない。そもそも浪人の栄之丞に今の暮らしを変えてくれるだけの力はさらさらない。そこに登場した次郎左衛門。あばただらけの田舎者だけど、とにかくいい人。ここで周りが勝手に進めてしまって・・・と言いながら身請け話に乗ってしまったらどんなに楽な暮らしが待っているだろうか。と、八ッ橋が思ってしまっても不思議はないと思うのです。膠着した恋人(しかもヒモ)との関係を断ち切りたい時、女がよく使うテのひとつですよね。

しかし、それをできないのがまた八ッ橋という女の弱さなわけで。
結局栄之丞に詰め寄られ、次郎左衛門に公衆の面前で縁切りをし恥をかかせてしまう。呆然とする次郎左衛門。その次郎左衛門を置き去りにして座敷を出て栄之丞の待つ部屋へ戻る八ッ橋。きっとこの時、彼女の心には「愛する栄之丞のために恵まれた未来を捨てた」という自己満足と、その未来への未練がないまぜになっていたに違いありません。そして彼女のビジネス的には金離れのいい上客をなくしてしまうということにもなりますし。

そして、4ヶ月後。何もなかったようすで再び八ッ橋の前に現れた次郎左衛門に籠釣瓶という名前の刀で斬り殺されてしまう八ッ橋。この時、次郎左衛門は穏やかな様子で店に現れるのですが、すでにその静かさの中に狂気をにじませています。思い詰めた人間が最後に牙をむく直前の静けさ。
「籠釣瓶はよく斬れるな」というつぶやきが、闇のなかにひびきわたり、吸い込まれていく・・・。

う〜ん、恐ろしい。

色恋と金という人間の欲望で動いている吉原という郭を舞台に、その2つに操られてしまった男女の姿が恐ろしくも哀しくもあり。新たな発見でした。

玉さまの八ッ橋はとってもきれいだし、栄之丞の仁左様もおとこまえ。栄之丞は仁左さまじゃなかったらやっぱり梅玉丈かなぁと思いながら観ていたのだけど、上演記録を確認すると、ここ15年くらいはこのおふたりしか演じてませんね。やっぱり色男じゃないとサマにならないものねぇ。

昼の部の「ぢいさんばあさん」を観たいのだけど、幕見で行ってこようかしら・・・。他愛のない話なんだけど、好きなのよねぇ。

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コメント 2

kumawow

昼の部行って来ました。
ぢいさんばあさん、良かったですよ。
この二人は美しいですね~
by kumawow (2010-02-20 21:37) 

カオリ

>kumawowさま
昼の部行かれましたか!
ワタシは結局行けそうにありません・・・。「ぢいさんばあさん」はこのおふたりのためにあるようなお芝居ですよね。
by カオリ (2010-02-22 21:40) 

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