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「わたしの蜻蛉日記」瀬戸内寂聴(集英社) [本]

本屋さんで見かけて、おもしろそうかな、と思い図書館で借りてきました。「蜻蛉日記」の寂聴訳なのかと思っていたら、寂聴さんがもう30年以上も前に、自分自身の覚え書きとしてかき綴っていたものがベースになっているそうで、この物語に対する、寂聴さんの素朴な感想とか、作者への辛辣なコメントがあったりしてそれはそれでおもしろい。

わたしの蜻蛉日記

わたしの蜻蛉日記

  • 作者: 瀬戸内 寂聴
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2009/11/04
  • メディア: 単行本






「蜻蛉日記」は藤原道綱母と呼ばれる女性が自分の夫との愛憎を書き綴った日記で、おそらく世に残っている女性の日記では最も古いもののひとつではなかろうか。寂聴さんがいみじくも、「源氏物語」が世界初の長編小説であるなら、「蜻蛉日記」は初めての私小説であると書かれてますが、正に、自分が夫である藤原兼家にいかに執着し、浮気に取り乱し、優しくされても素直になれず、それでも兼家と離れることができない、そんな辛さをずーっと綴っている。
*ちなみに、夫の藤原兼家は藤原道長のおじいさんにあたります。

何というか、難儀なひとなのである。この時代、通い婚で、かつ一夫多妻が貴族の間では普通のこと。のちに最高権力者になる男に見初められた中流貴族の娘である作者は、正妻ではないものの正式な妻のひとりとして認められ、息子まで設けている。当時の世間一般の規範で判断すると、文句のつけようのない幸せ者なのだ。でも、彼女は全く満足などできない。「なぜ兼家は自分ひとりで満足できないのか」「自分ひとりを幸せにしようと努力しないのか」ずっと恨み続ける。そんな美人だけど辛気くさいというか、かわいげのないと言うか、そんな彼女のもとにも兼家は縁を切らず(危機は何度もあったようだけど)通い続ける。

ずっと、道綱母は道綱を産んだ後は兼家とは男女の関係ではなくなってしまって、だから兼家への恨みつらみをずっと書き続けたのだろう、と勝手に誤解していたのですが、そうではなかった。ずっと関係は細々とだけど続いているのですよ。

きっと、道綱母は普通の結婚などせずに、紫式部のように、勤めにでれば気がまぎれてよかったのではなかろうか。現代に彼女が生きていて、普通に結婚し、夫も浮気せず、という普通の幸せな人生を生きていたとしても、何かが足りない、まだ愛が足りない、と絶えず何かに対して渇望し続けているような気がします。

 やはり、女がものを書くということは、どこか尋常でない痛ましい生き方のような気がしてならない。(略)
 今も昔も、ものを書く女などというものは、表面どのようにしおらしくつくろってみせたところで、心に鬼を棲まわせている。角もまだ柔らかい小鬼であろうと、耳まで口のさけた見るも怖しげな大鬼であろうと、それが心の臓を噛み破る修羅の鬼であろうことにはまちがいない。心に鬼をかくした女の仮面が、いつまでもはがされずに置くものだろうか。(本文5ページより)

鬼が心にいる限り、どんな時代に生まれようと、どんな男と一緒になろうと、心安らかな日々は訪れないということですね・・・。


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コメント 2

kumawow

たいへん興味深く読みました。

鬼は誰の心にもあり、書くことで鬼を小さくしているのかもしれませんね。と身をつまされました。
by kumawow (2009-12-16 23:51) 

カオリ

>kumawowさま
こうしてネット上に誰でも思いを書き出せる現代は少しは鬼と一緒でも生きやすいかも・・・と思います。
by カオリ (2009-12-17 18:45) 

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