「抱く女」桐野夏生(新潮社) [本]
寒かったり暑かったり・・・。月曜日の蒸し暑さにはげんなり・・・。
明日はようやく晴れ!の予報。洗濯しよう、そうしよう。
「抱かれる女から抱く女へ」とスローガンが叫ばれ、連合赤軍事件が起き、不穏な風が吹き荒れる七〇年代。二十歳の女子大生・直子は、社会に傷つき反発しながらも、ウーマンリブや学生運動には違和感を覚えていた。必死に自分の居場所を求める彼女は、やがて初めての恋愛に狂おしくのめり込んでいく―。著者渾身の傑作小説。(「BOOKデータベース」より)
ちょうどわたしの0歳児時代と重なる時代。わたしが無邪気な表情であぶあぶ言っていた頃、東京でこんなふうに過ごしていた女の子がいたのか〜と思いながら読了。
なんだか遠い世界だな・・・。この20年後に同じようにわたしも大学生活を送ったのだけど、じゃあ、その20年後の大学生とわたしたちの違いに比べたらずいぶん社会は変わってしまったんだなぁと思うなぁ。
別に戦争が起きているわけでもないのに、暴力による「死」が若者にとって身近にある世界ってやっぱり異様。学生運動における集団の狂気はカルト教団のようでもあり、幼稚なイジメのようでもあり。
時々登場する、直子と同年代の社会人たちからみたら「ケッ」って感じでしょう。大学に進学することが今よりずっとずっと大変だった時代なんだし。
すでにあさま山荘事件によって、学生運動の成れの果てはテレビの中で津々浦々に知れ渡っていたのよね。。。
直子、この後どうするのかな。でも結局、大学も辞めず、しばらくしたら家に戻っちゃうんじゃなかろうか。
外国の小説を読んでいるような現実感のない世界に、もしかしてこの時代には日本にはパラレルワールドがあって、学生運動をしていた若者たちはみんなパラレルワールドの方で生きていたんじゃないのかなと思っていみたり。
でも、最近あまりなかったダークな読後感の桐野ワールドでした。
ここから脱線。あさま山荘事件のとき(わたし、生後3〜4ヶ月くらい?)は、ちょうど父が病み上がりでなぜだか父の実家に家族3人で泊まっていたらしく、おにぎりを握っておいて祖父母、まだ中学生だった叔父とうちの両親で、1日中、テレビの前に釘付けになっていたとよく母から聞かされました。
すごいインパクトだったんでしょうねぇ。鉄球で攻撃してるところを生中継だもんね。
この事件のときに、日清がカップヌードルを警察やマスコミに差し入れて、一気にメジャーになったみたいな話も興味深い。大きな事件の影にはいろんな進歩が隠れていたりするのですよね。
映画とかドラマにもなりそうですね。
今の安保法に反対している学生たちも、この路線に進んでいきそうで怖い気がしています。
by YAP (2015-11-12 08:10)
>YAPさま
なぜ今このテーマだったのかなーなんてことを思ったりもしました。集団の狂気ってほんとに恐ろしいです。nice!ありがとうございます。
by カオリ (2015-11-14 20:01)