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「みんな彗星を見ていた」星野博美(文藝春秋) [本]

今日の晩御飯は大好きなとうもろこしを使った、とうもろこしごはん。
しかし夫は今日も深夜残業中。炊き立て、美味しかったのにな〜。


みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記

みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記

  • 作者: 星野 博美
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2015/10/06
  • メディア: 単行本

新刊が出ると読んでいる星野さんのルポというかエッセイというか。
一度図書館から借りたのですが、読み切れず、再度予約待ちしました。

古代の楽器、リュート(ギターの原型みたいなものでしょうか。表紙の人が弾いているやつ)に惹かれ、習い始め、そこからリュートをはじめとした当時の楽器を演奏していたという天正遣欧使節団の少年達に興味を広げ、さらに安土桃山時代から江戸時代初期に日本で広がり、そして弾圧され消えていった(と思われていた)キリシタンについて調べ始める星野さん。

長崎はもちろん、スペインにまで出かけ、当時の人たちの信仰について考える、考える。

今、どんな風にこの時代の歴史が学校で教えられているのかはわからないけど(歴史の教科書って、私たちの時代とは随分内容が変わっている、とこの前知りました)、確かにキリシタンの布教と弾圧の場所のひとつだった長崎でも教科書以上の内容は学ばなかったと思います。
長崎市内だとどうなのかな。でもたぶん習ってないと思う。

当時のキリスト教の気配がすっかり消されていると星野さんは嘆いていますが、これは仕方ないんじゃないかなとも実際思う・・・。だって、徹底的に禁止されていたのだから書き残すことも語り継ぐことも難しかったでしょうし。

それよりなにより、キリシタンを弾圧するときの拷問!
戦争での残虐行為の話を聞いた時にも同じことを感じますが、日本人に限らず、こういうときの残虐性って人間という種の特性なんでしょうかね。
ある意味、想像力と生真面目さの賜物。
キリシタンの弾圧は、「転び」と呼ばれるキリスト教を棄教した人たちにやらせていたというから、幕府も徹底している。これは、転びの人たちはキリシタンの思考回路をよく理解しているからだそうな。

なんだかねぇ、題材が題材なだけに、読んでいてうつうつとした気分になりました。星野さんの筆もいつものような軽やかさとかしなやかさが少ない気がしたし。

リュートの音色は素敵です。日本の音楽には「和音」という概念がなかったので、16世紀にヨーロッパ人によってもたらされた西洋音楽は申請だったでしょうね。

ちょうど、昨日、録画していた1ヶ月ほど前の「真田丸」を見ていて、きりちゃんが細川ガラシャのところを訪ね、賛美歌に聞き入るというシーンがありましたが、その気持ちわかるわ。
まさにこの「みんな彗星を見ていた」と時代が重なるので、興味深くみました。


リュートの音色。天正遣欧少年使節が帰国後秀吉の前で演奏したと言われている「千々の悲しみ」
星野さんは、時勢を考えると彼らが演奏したのは宗教色の強いこの曲ではないではないかと、本書で推測しています。


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